Miho Kobayashi Offcial site

優しいこと

優しい絵。
温かい写真。
優しい保育。

・・・・
〈優しい絵〉

「優しい」は
私のなかのキーワード。

日本語では
「やさしい」には二つの性格を連想させると思っている。

「他者や自分への哀れみ、弱い優しさ」と
「他者と自分への許し、愛を持った強い優しさ」。

私は本来の優しさは後者だと思っている。

優しいとは、強いことなのだ。

優しいとは何よりもまず、素直なままの自分の全てを受け入れ、許すこと。
自分を信じている軸を持っていること。
そのことを「強さ」と言うのだと思う。

そんな強さは「愛」とも言う。
波紋のように広がり、自分だけでなく、他者の心のなかにも響き、染み渡る。癒しのようなもの。

そんな絵を描いていきたいと思っている。

・・・・
〈温かい写真〉

写真は光そのものなので、
優しいという言葉よりも、温度を感じさせる「温かい写真」の方がしっくりきた。

温かい写真。
光の中にいる感覚が
私には温かく、一番心地よい。

(そもそも写真用語では「優しい」≒「弱い」と言う表現は、私の写真のようにふんわりした写真のことを指す)

・・・・
〈優しい保育〉

保育においてはむしろ、怖くする必要はないのだ。
脅威を感じさせる必要はないのだ。
日常生活を送っている上で、子供にとって脅威なものは少なからずあるのだから、
大人は保育の場面で子供に脅威を植え付ける必要なんてないのだ。

また、「正しいこと」は「脅威」でもある。
その正しいことに大人は振り回され、子供を恐喝してしまう。
子供は大人の言葉よりも態度に恐怖している現場をよく見かける。
(事実、その「正しいこと」に大人も怯えているのだ。「常識」「立場」)

もし自分の中で見つけた真実を相手に伝えようとするなら、
大切になってくるのは、関係性である。(大人も子供も)

優しい保育の一番下の軸は
自分自身への許しと信頼。それが愛と強さにつながっていく。

子どもはいつの世だって、
間違いなく「こども」として生まれてきてくれるのは、
私たち大人がもともとは「こども」だったことを
振り返らせてくれるきっかけを与えてくれるからとも言える。(勿論、それだけではないが)

子どもは事実、強い優しさを持っている。
よく見て、相手の感情を察する。大人よりも良い社会の作り方を知っている。
(私が初めて務めた都内の保育園では、そんな社会が存在していた。エピソードは下記URL参照
保育園の「表現者たち」展
@hyougenshatachi

優しい保育。
まずは見つめること。
「なにがしたいんだろう?」と言う
興味を交えて。

子どもは常に今を生きているから、
わたしも常に現場で学ばせてもらっている。

保育を語るのは非常に難しいので、
好きではないが、書いてみた。

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