優しい絵。
温かい写真。
優しい保育。
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〈優しい絵〉
「優しい」は
私のなかのキーワード。
日本語では
「やさしい」には二つの性格を連想させると思っている。
「他者や自分への哀れみ、弱い優しさ」と
「他者と自分への許し、愛を持った強い優しさ」。
私は本来の優しさは後者だと思っている。
優しいとは、強いことなのだ。
優しいとは何よりもまず、素直なままの自分の全てを受け入れ、許すこと。
自分を信じている軸を持っていること。
そのことを「強さ」と言うのだと思う。
そんな強さは「愛」とも言う。
波紋のように広がり、自分だけでなく、他者の心のなかにも響き、染み渡る。癒しのようなもの。
そんな絵を描いていきたいと思っている。
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〈温かい写真〉
写真は光そのものなので、
優しいという言葉よりも、温度を感じさせる「温かい写真」の方がしっくりきた。
温かい写真。
光の中にいる感覚が
私には温かく、一番心地よい。
(そもそも写真用語では「優しい」≒「弱い」と言う表現は、私の写真のようにふんわりした写真のことを指す)
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〈優しい保育〉
保育においてはむしろ、怖くする必要はないのだ。
脅威を感じさせる必要はないのだ。
日常生活を送っている上で、子供にとって脅威なものは少なからずあるのだから、
大人は保育の場面で子供に脅威を植え付ける必要なんてないのだ。
また、「正しいこと」は「脅威」でもある。
その正しいことに大人は振り回され、子供を恐喝してしまう。
子供は大人の言葉よりも態度に恐怖している現場をよく見かける。
(事実、その「正しいこと」に大人も怯えているのだ。「常識」「立場」)
もし自分の中で見つけた真実を相手に伝えようとするなら、
大切になってくるのは、関係性である。(大人も子供も)
優しい保育の一番下の軸は
自分自身への許しと信頼。それが愛と強さにつながっていく。
子どもはいつの世だって、
間違いなく「こども」として生まれてきてくれるのは、
私たち大人がもともとは「こども」だったことを
振り返らせてくれるきっかけを与えてくれるからとも言える。(勿論、それだけではないが)
子どもは事実、強い優しさを持っている。
よく見て、相手の感情を察する。大人よりも良い社会の作り方を知っている。
(私が初めて務めた都内の保育園では、そんな社会が存在していた。エピソードは下記URL参照
保育園の「表現者たち」展
@hyougenshatachi)
優しい保育。
まずは見つめること。
「なにがしたいんだろう?」と言う
興味を交えて。
子どもは常に今を生きているから、
わたしも常に現場で学ばせてもらっている。
保育を語るのは非常に難しいので、
好きではないが、書いてみた。